113 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:28:33.49 ID:y6jkc3xqO
初夏の空はきれいだ。空がただ青い。吸い込まれそうになる。
太陽も今日は少し押さえ気味らしい。暑すぎない。そよそよ吹く風が心地良い。

そんな中、少女は屋上の端に座っていた。

白いブラウスに、ふんわりしたスカート。木で作られたサンダル。
腰ほどまである黒髪は、風になびいて宙を泳いでいる。

从'ー'从「ねぇねぇ」

カカトが12階建てのビルの壁にあたるたびに、小気味よい硬質の音がした。

ぶーらぶーら
こつ こつ

从'ー'从「あなたは、いつまでそうしてるの?」

視線で遠くの山をなぞりながら、聞いた。
声は、階下に向けられている。そこには真面目な顔をした青年が座っていた。

彼は11階の窓に、きちんと正座している。
律儀にもスーツ姿の彼は、シャツのボタンも全部閉めているし、ネクタイにも隙が無い。

地面に平行、常識に直角。

もう小一時間、こうしているのだ。

(`・ω・´)「貴女が無茶を止めるまで、……ですかね」

114 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:30:15.79 ID:y6jkc3xqO
尻の下に重ねた親指の上下を、入れ替える。この5本指靴下の愛用者は、正座が好きらしい。

从'ー'从「無茶ってなによ」
(`・ω・´)「無茶っていうのは、貴女が思い通りにしてしまう事です!」

下からの声は、頬を膨らませての抵抗をあっと言う間に制圧してしまう。

从'ー'从「いいじゃない、べつに」

ぽそりとつまらなそうに、少女は言葉を空に浮かべた。

从'ー'从「なーんでもかんでも、《やめろ》《いけない》そんな毎日たのしくないよー?」

つぶやきながら少女は、顔の前で、山の輪郭に両手を添える。
大きな山を包み込む、小さくて柔らかそうな手。

それに気付いた正座していた男が慌てて、右足を立ててようとして


「ああああぁぁぁぁ」


落ちてった。痺れたか。

小さくなってく姿を見て、少女は微笑えんだ。
目がうきうきしてるのが、見て取れる。

ばったばた ばったばた
ここっここっ ここっここっ


115 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:31:11.98 ID:y6jkc3xqO
下で痛そうな音が聞こえたのを確認してから、意識を指に戻した。
添えた左手を離し、人差し指で山の頭を慎重に押す。
むにゅ

白く細い指に感触は無いけれど、山は指に押されて低くなった。

从'ー'从「えっへへ〜んっふ〜ふふっ」

鼻歌まじりに山を押し始めた。

へにょ
もにゃ


もんだり、つまんだり、横にずらしたりと楽しんでると、座っているビルの窓が一斉に震え始めた。

「あーあ」とぽつり。でも少女は相変わらず、むにむにと山をこねて遊んでる。

从'ー'从「あぁ、きっとあれですよ。」

隣にやってきた雀に話し掛ける。

从'ー'从「さっき落ちた馬鹿が、私を止めに急いで走って来てるんですよ。まったく暇な人ですねぇ。」

視線は前のまま。来客に話し掛けるその声が、少し不機嫌だ。

お楽しみを、中断しなきゃいけないのが悔しかったみたいで、ほっぺがみるみる膨らんでいく。


116 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:32:07.74 ID:y6jkc3xqO
从'ー'从「よいしょ……っと」

足を少し開いて、その間のビルのへりを両手で持つ。
少女は無造作に下を覗きこむが、ここは12階。
普通の人なら後ろの柵を、恋人以上に思うはずだ。

ところが、少女の顔に恐れる表情は微塵もない。

ずっと下にオバサンが見える。連れてるのは柴犬だろうか。

そして、見えるものがもう一つ。
折り目のついたスーツは土まみれになり、丁寧にセットされていた髪はぐしゃぐしゃ。
血走った目をして壁を駆け上がってくる、鬼の様な顔をした青年。

从'ー'从「うひゃぁぁあぁあ!?」

叫び声をあげるのと同時に、後ろの柵を右手で持って両足を上げた。
みるみる足音が近づいて来る。


せーの!


めしょ


変な音がした。
ついでに「ぅあ」とかも聞こえた。

117 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:32:56.27 ID:y6jkc3xqO
侵略者は再び地面に落ちていった。屋上にはまた、気持ちいい静寂が帰ってきている。

从'ー'从「ふう、なんとかなったわね」

胸を撫で下ろす少女。騒動に驚いたのか、スズメは飛び立っていた。

从'ー'从「あーあ、行っちゃったじゃない。もう、アイツのせいだー」

足を持ち上げて、お尻を90度横に回す。
そのままビルの縁に寝転んだ。

空がとっても青い。
雲がとっても白い。

从'ー'从「……おいしそう……行こってみようかな?」

寝たまま、手を空に向けた。

下の方から何か聞こえる気がする。
またビルが揺れてる感じも。

少女は、目を思いっきり細めて太陽を見た。
光の固まりは容赦なく輝いている。


右手で太陽をそっとつまむ。

眩しくて涙が出てきたので、きつく目を閉じた。
まぶたの向こうに、赤い太陽がある。


119 从'ー'从渡辺さん sage New! 2006/09/30(土) 15:34:23.96 ID:y6jkc3xqO
揺れが大きくなってきた。
少女は大きく息を吸い込むんで「せーのっ」とつぶやいた。

つまんだ右手を捻る。
太陽は180度ぐるんと回った。
はた目には何の変化もない。


でも。

少女は満面の笑みを浮かべた。
ビルの縁にちらばっていたり、下に垂れていた黒髪が、さぁっと横に広がった。動き始めている。

从'ー'从「ん、成功かな」

ふわっと少女の体が浮いたのと、ビルを揺らす張本人が手を伸ばしたのは同時だった。

从'ー'从「雲の味、確かめて来るね」

少女は、空に落ちていく。青年が屋上で何かさけんでいる。


初夏の空はきれいだ。空がただ青い。吸い込まれそうになる。
太陽も今日は少し押さえ気味らしい。


これから本当の夏が来る。

雲、涼しかったら昼寝場所にしよう。

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