108 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:28:25.75 ID:6fTis4ztO
車内は重苦しい沈黙に包まれていた。
男と女、二人が乗った車は街灯も何も無い峠道をひたすら走っている。

気を紛らわそうと男がラジオに手を伸ばすが、聞こえてくるのはノイズばかり。

「こんな道に電波が来てるわけないでしょ」

女は不機嫌を隠そうともせず、カーラジオを切った。
再び車内は車のエンジン音だけとなる。

「なぁ、この峠の噂、知ってるか?」

女からの返事は無かったが男は構わなかった。
口を閉じ、また沈黙が始まるのはごめんだ。

「この峠の怪談話。
なぜかルームミラーが気になって、視線をミラーにやると、」

「やめてよ」

男は今度こそ口を閉じた。

110 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:29:08.52 ID:6fTis4ztO
女は無表情な顔を窓に向けてはいたが、声には本気の怒りが籠もっていた。


「この前言った事、考えてくれた?」

女が男の方を向くと、男もまた、女の方を見ている。
二人はそれほどお互いの事を分かり合っていた。

「ああ、今の今まで忘れていたわ」

これは、女の嘘だ。
男より話を聞き、今の今まで考えなかった事は無い。
でも、最後くらいは、強い女でいたかった。

「別れましょう」

男は会社重役の息子で、女は会社の受け付け嬢。
こうなる事は分かっていたのに、女と男は深みにはまり過ぎていた。
でも、それも今日で終わろうとしている。
女は再び車外に視線を向ける。
男は再び前方に視線を向ける。
二人は、これから別々の道を進むのだった。


111 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:29:51.44 ID:6fTis4ztO
「……?」

男の変化に、女は敏感だった。
男を見なくても、空気で分かる。
空気は戸惑いと恐怖を孕んでいた。

「やめろ!」

後ろを見ようとしていた女の動きが止まる。
男はぶつぶつと何かを呟いていた。

『えーと、恐がらないでくれよ』

二人の背後から声を掛けられたが、内容までは分からない。
声が聞こえたという事実で、二人はパニックに陥ってしまっている。

「ブレーキ!ブレーキが利かない!?」

「一体なんなのよ!?冗談はやめて!!」

『おい、落ち着け』

背後の何かによって、車内灯が点けられる。
背後の何かは、黒いマントを羽織った陰欝そうな顔をした男だった。

('A`)「……前見ろ、前」

男は慌てて視線を前方に戻し、急ハンドルを切った。
もう一瞬ハンドル操作が遅ければ、ガードレールに衝突していただろう。


112 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:31:45.42 ID:6fTis4ztO
車内灯が点き、背後の何かの正体が明るみになった事で、パニックは幾分か落ち着いていた。

('A`)「俺はドクオ。
……死神だ。
あ、前を見ろよ」

またしてもの急ハンドルにタイヤが悲鳴を上げる。
車の速度は坂道で徐々に増していく。
このまま速度が上がればいずれは。

「ぎゃああっ!」

女がいきなり飛び跳ねた。
男もまたその声に驚き、身体を震わせる。

「何だよ!びっくりさせんじゃ……うわ!?」

助手席の窓に映る男と女、それに、苦悶に満ちた顔。
眼球が飛び出した顔。
火傷によって、溶けかけた顔。


114 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:32:24.56 ID:6fTis4ztO
女はガタガタ震え、死ぬ、死ぬと呟き続ける。
男は片手で女の肩を力強く、抱いた。

「死ぬ時は、一緒だ。
でも、俺はまだ死なない」

男はハンドルを片手で握り締めた。
男だけなら、とうに絶望から自らの死を認めていただろうが、今は女が傍らで震えている。
男ならば、命を賭けて女を守るものだ。
女の身体の震えは止まっていた。

('A`)「さて、俺は仕事をしなきゃな。
あんた、彼女をしっかり守ってやんな」

それだけ言うとドクオの姿が消えた。

茫然とする男と女。
だがそれも長くは続かなかった。
耳をつんざく轟音と、激しく揺れる世界。
薄れゆく意識の中、二人はお互いを庇うように抱き合っていた。


115 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:34:16.58 ID:6fTis4ztO
白い天井に、覗き込む看護士。
状況を把握した男の第一声は女の安否を尋ねるものだった。

「はい、奥様は大丈夫ですよ。それに……」

女は男の夫人ではなかったが、それよりも男が気になった事は、看護士の顔が輝いた事だった。

女はベッドから身を起こし、窓の外をぼんやりと眺めていた。
泣いていたのだろうか。
目の下は赤く腫れていた。

「君、お腹に子供がいたのかい」

「ええ、でももう関係ないわ。
堕ろすもの」

女の最後の声は、震えていたが、尚も気丈に振る舞う女に男は。

「産んでくれよ」


116 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:35:50.86 ID:6fTis4ztO
('A`)「これで一件落着、と」

ドクオは病院の中庭で大きな欠伸をした。

車のブレーキを壊したのはドクオだった。

('A`)「おまえらもサンキューな」

苦悶に満ちた霊。
眼球が飛び出した霊。
火傷によって、溶けかけた霊。
ドクオが頭を下げると、三人は消えていった

彼らに頼んで二人を驚かせたのもドクオだ。
ついでに言えば、車が事故を起こす直前に、車に立ちふさがり、クッションとしての役割を果たしたのもドクオだ。


117 ('A`)は死神のようです。 New! 2006/05/17(水) 22:36:50.48 ID:6fTis4ztO
('A`)「……車を大破させたのは、やりすぎだったかな」

……いや。

ドクオは自分の呟きを否定した。

もしも女が男と別れたならば、男がいなくなった女は自殺の道を選んでいただろう。
たとえドクオが自殺を止めて、新たな人生を歩むにしても、女は子供を堕ろしていただろう。

ドクオの仕事は、母子共に死亡を防ぐ事だった。

('A`)「ま、いいか。
考えるのマンドクセ」

つり橋効果で再び結束が強まった二人は、もう心配はいらないだろう。
幸せな家庭を築く筈だ。

ドクオは頭を掻きながら病院の門を出た。

死神に男と女、二人の視線を感じたかどうかは、定かではない。

終わり


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